『感染対策症』
あながち間違ってはいない。
今年こそ取れるかもしれないな。
最近のニウスを聴いてると、ずいぶん昔、寝込んだときのことを思いだす。
いまなら絵とか壺とか買っちゃうよ、そんな弱りかたである。お熱をはかる。
月あかり/オムロン照らす/8度かな
平熱ひくいので9度くらいの感覚だ。
辛くも意識はシャープ、もっと高いとこはないかナなんて、まさぐる余裕。
そしたら局所が、熱い。
この局所というやつはよく出来たもので、
冬は梅干し、夏はムササビのごとく姿をかえ、
その恒温を守ってきた。
そんな局所が熱いのだ。
色で言ったら赤。テレビの音量で言ったら40くらいである。
ああかわいそうな局所。
「冷凍庫のすみでこごえていた、保冷剤を捨てなくてよかった。」
このときはインフルエンザだったのかな確か。
それこそ今みたく自宅待機してて、
暇だったからセーターの毛玉ちぎってベランダから風に乗せてた。
きっと今ごろ、この街のあちこちで、ちいちゃなセーターが育っているはず。
シルバニアのあの子に似合うかしら。局所にたずねてみる。
箸置きがすきだ。
箸を置く暫時、というのがすきだ。
いきつけのそば屋では楊枝を枕にしてるから、
マスターがあわてて貸してくれる。
嫌味にうつってないかしら。
箸を置きたくてしょうがない私だ、
だから『箸休め』も箸置きのことだとおもっていた。
お箸さま、どうぞこちらで休んでいかれてください。
『置く』なんて行為でいわないのが実にゆかしい。日本にうまれてよかった。
でもそこは違った。
ことば遣いのはしくれとして、実にはじかみい。スティックでチョップしてやりたい。
箸休めをいただいてるあいだも、箸は休んでいない。
それは臓器のようだ。今体にいえばインフラだ。
『休め』のことばにつつみ隠しているけれど、
24時まで呑ませてくれたバーテンさんは、そこから店じまいをするのだ。
バーテンさんが帰りに寄ったコンビニスタッフさんは、彼よりあとに寝るのだ。
私たちは地球の裏側に紙ひこうきを投げるべきだ。感謝のことばをしたためて。
あと運動会の『休め』もそうだ。生徒の貧血にそなえたアリバイだ。
今日のことわざ。
【箸も休め休め言え】
もぐもぐしながら話すな、てこと。
いちげんな店で食事をとっていると、もちろんカウンターだ、店員さんとの話になる。
「はじめてですよね、なにかでご覧になったのですか?」
これよく訊かれる。
かたや温泉街の店ではだれもが異邦人だ
(地元民や従業員がいく店は別にあったりする)。
どちらから、とは訊かれても、どちらのご紹介で、とは、ならない。
わたしのうまれた頃からクチコミはあったし、旅行雑誌はあった。
わたしだって鉄道に乗るときはスペックや路線図を舐めまわすものだ。
その一方で、食べてみないとわからない、異国の大衆料理に見返り美人を強いられる(手は口もとに)。
休日なんてとくに、自我の荷ほどきをしてあげたいのに、床につく、いちにちの暮れに、
ああ今日はこんなだったな…という日記のなかみが、書くまえからきまってるのは寧ろたいくつだ。
あらゆる道やたてものが色数をふやしてくれたころ。
わくわくしたりひやひやしたり、そんなときみたいに、もっとしっかり、破線をなぞろう。
歩こう。車もいいし飛行機でもいいが、いちばんのろまな方法で、町の輪郭をとらえていこう。
もっといえばほふく前進やでんぐり返り、なんてのもあるが、そんなこという奴は先生キライだ。
Read Moreパトラッシュ、
もうこのセリフ飽きたんだ。