けなされた湯

2011/01/26

そして
あふれだす煮汁。

健康法、というのか以前から
湯、を飲んでいる。いやいた。
飲んでいたのだがここのとこ
減ってしまった。

以前、湯を飲んでいたら
ひとに馬鹿にされたことがあった。
白湯なんて、と。
私は言葉ではなく、飲み続けることで反論した(丁度飲んでいたのをとめたくなかったため)。そしてその行為は同時に、湯を護る愛護団体でもあった。今考えれば若かったものである。若い布はワカメでもある。

さして気にしていない、つもりでも
実はこころ、掘られていることが往々にしてある。
私は湯を飲むことに後ろめたさを、果てはその効能に限界を感じ、自分の中で湯の魅力を、減らしてしまった。
冷めてしまったのである、湯だけに。

あのときの心ないひと言がなければ、と今も悔やまれてならない。
まあ結局のところただ自分が秋田県、というダケのことなのに。
こうして言い訳できそうなひとの非(?)にハイエナ。
理論de武装は、やめられない。
そんなんより先ずやめなあかんのはコンナ時間にソファからムックリする生活なのだが。

今日もさざんかが、きれいですね。
どんなんか知らんけど。