食後にコーヒーを飲んでいると
あれだ、あれのことを思い出す。
16年前、私はオーストラリアのどまん中にいた。
盗んだバイクで走り出したら止まらず、広島のちいさな町から四国まで足を伸ばそうとして間違ったのだ。
そこにはアボリジニの男が居た。土着的な、すこし白毛の混じった髭をたくわえ、やたらとコメント欄を気にしていた。
サドルが盗まれ途方に暮れる私にカタコトの英語で彼はこう言った。
「『盗んだバイクが盗まれた』これは私たちの古い言い伝えだ。」
因みに『 』の中はメロディーがついていた。
「盗んだ… ! アボじいそれって…!」
「梅干しみると口キューってなるのはどこの国でも一緒さ。来なさい。」
彼は自分たち一族の集落とおぼしき場所へ私を通してくれた。一族のほかの者たちが顔をしかめているのをみるに、どうやらこの男がこの集団のリーダーのようである。
「お前という旅人に会えた事が、今日の狩りの一番の、収穫だ。」
飲み物を持ってきてくれた若い女が、刹那、男の方をきっと睨んだ(チッ、とも言った)。
「これは私たちの一族に伝わる歓迎の杯だ。飲みなさい。」
こわごわ口にそれを含んだ私はハッとした。
「珈琲と牛乳… ! アボじいこれって…!」
「(ニコッ)カフェ・ラッテだ。」
…あれからもう幾年も過ぎ、私にも白髪がチラみえ始めた。
今になって気がついたが、ずっとネットに引っかかって居ることが有る。
あのとき振る舞ってもらったアボリジニのカフェ・ラッテ。カフェ・ド・アボリジニ。
私の舌がまだ青色を呈していたせいで気付かなかったが、あれ、実は『カフェ・オ・レ』だったのではないか?
一度ついた琥珀色の濃い染みは、なかなか落ちない。
というのもあの環境で、泡立てたミルク(スチームドミルク)がいつまでも泡のままでいられると云うのは不可能と言っても決してJAROではないのだ。
私は真相を突き止めようと、図書館に通ってあのアボリジニのことを調べてみた。
ラテなのかオレなのか、伊なのか仏なのか(たしかオーストラリアは英国支配だった筈だが…)。
しかし調査は難航した。どの文献にもアボリジニがカフェ・ラッテ(カフェ・オ・レ)を喫したなどという情報は見当たらないのだ。
あの時と同様、私はふたたび途方に暮れた。
しかしケータイで検索かけるとあのアボリジニがWEBでヒットするじゃないか。
何と彼は民族文化の衰退を懸念して広報という方法をとっていた。
サイトの名前は【みるく☆アボリジニ】というものだった(星のところは塗り潰しても良いとのこと★)。
きっと旅人の為に牧場などを用意して癒しを提供し、対価を得ているているのだろう。
そこ(サイト)でわかったこと。
あれは何のこたない、コーヒー牛乳だったのだ。
今となっては恨むことすらできない、いや寧ろあれは彼らの、優しさではなかったか?
普段はクリープで飲んでいる、という彼らにとって生乳100%を惜しげも無く注いだそれがかなりの贅沢品なのであろうことは想像に難くない。
そしてもうひとつわかったこと。
彼らはただバイトでアボリジニをやっていたということだった。
私のなかで、すべてが繋がった。一族の者が裏で『シフト、シフト』と呻いていたのは決して彼らの言語ではなかったのだった。
私は珈琲と牛乳を飲む。
貨幣にうたれた彼らの躰は青錆にまみれて、それでも幾許かの幸福を感じていることだろう。
円とドルとパピルスで、買える思い出は大人のおもちゃ。
珈琲と牛乳。
よくわからん。
これは戦争だ。