便座にのって旅に出よう(センチメンタル)

2013/08/24

知人が、家を建てるのに、便器をふたつ、設けるという。
別にこれは二世帯便器でも、家庭内別器というわけでもない。
彼は立ちション派なのだ。

いや未だ未だこの言いかたって不適切だな
それはオリジナル。実にネイティヴ。スタンダード。クラッシック・シッコというべきか。

ただ欧米人の帯がきまらないのと同様、横便器に縦便器的行為(クラッシッコ)を行うと歪みは生じるもので、つまりこぼしてしまう。少なくとも散らしてはしまう。
注目すべきは、そこで彼の採ったこたえが『便器の方を俺(様式)にあわせる』この部分だろう。

私は専ら座派である。言うなればパンク。ニューウェーブ。クロマニヨン。前衛尿なんである。
「いちいち座って…めんどくさい!」そう言う彼を否定する気は無いが、私からすればあんな『きまぐれバナナちゃん』のご機嫌とり乍ら生理する方が蕁麻疹である。

殿方ならば誰だって『散らした』思いで有るでしょう。『散ってた』ことも有ったでしょう。
そんなバナナに自分を(様式を)合わせるということは即ち、力でもって男性性に屈服させられる蝋燭の炎。見上げればいつもくもり空。
そして私の行き着いた安楽の地が便座なのであった。

あとおまけに言うとこの便座という奴、肘をついて芥川する高さに、実に、丁度良い。
ま私は太宰の方であるが、いずれにしてもロダンが便座の上で着想したことは想像に難くない。

つまるところの結論は
片足あげずにシッコする犬、最近多くないか?
ということであったジエンド。