Untitled

2014/05/25

川土手の車道をすがら、左測道に猫の死体有り
その先から、こちらへ向かう生きた少年有り
奇しくも私は、自分達の生死が、とりわけ死が
奇抜なものとして『ないない』される現状(勿論自分自身の心持ちも含めて)、
その疑問とそして向かうべきところについてこたえを求めた図書館の帰りでした。

ちょっと、心掛かりなのはその(元)猫がぱっと見
内臓ぶちまけていたかもしれないこと
少年への親切か個人的な興味か
ちょっとよく見てその布か死体か、天使か現実かというところを、見極めて、

左口から
「あ」
と言った瞬間
青白いガードレールが現れて

少年と(元)猫
この二者を隔てた

いつまでも続く白線と車の列、それに「挟まれて」
私はただ「走り続けるしかなかった」。
このときこそ吉野さんのお言葉を都合良く咀嚼すれば
「少年はどこまで行っただろうか」と言うに相応しかった。
いま思えばそもそも私がそんな、見せるべきだのべきないだのの鉄槌を下せる閻魔じゃないのにね。

少年がもし
夕焼けの美しさに立ちすくむのなら
私はそこに
もっともそれから遠い物を添えたい
それは薬味か箸休めか、ちょっとまだ言い切れないが。