Untitled

2014/05/23

住んでいるマンションの隣りにいえが建ち
老夫婦が
庭で夏野菜の準備をしています
私はソファに腰掛けると、ちょうどそういった日常を
景色として切り取る位置関係におり
ふと
我々がいち空間をつくってもいい筈だ
と考え
そう思わせてくれたお隣さんの心地よい所作、存在をうれしく思うのと
また、それを阻んでいる現実はいったい何だろう、などといちいち考えていました。

さて
私とご夫婦は(あくまで私からみれば)同じ直線上におり、かつ、距離もさほど離れておりません。10メートルくらいでしょうか。
私たちはたまたま別の建物に属していますが、このくらいの距離であれば同じ建物の中でも実現します。
つまり
もしも、我々が所謂『両思い』であったならば、ニーズさえ揃えば
オフィスの中でも、電車でも、我々だけの(ほぼ現実に近い)仮想の『家』をこしらえることは可能かもしれなく、
そうするといよいよこの今の枠組みが怪しくなってきます。
かと言って、ロミオとジュリエットの話に結実する気も、ないし。
ただ
私にはいま見えるこの景色が、窓枠を、ベランダを、駐車場と緑のフェンスを越えて、
私をけっして疑わせないほどの母性すら与えてくれているように思いました。

線、でしょうか
これは線引きのおこす功罪の話なのでしょうか。
気の持ち様とか名前とか、そういう。

あんま続けるとまた『だから戦争はなくならない』とか言ってしまいそう
今日は生煮えでいたいから、これで終わり。