防災対策

2014/11/09

神戸の演奏はぶじ終わった。
打ち上げでまたギリギリまで楽しんでしまい、一緒に呑んでた皆さんを巻き込んで空港へ。
いや本当はバス停。いや港、てのもいいな。

ああ良かったまだ来てないや〜てホッとした絶妙なタイミングで缶ビールの差し入れで、またギリギリまで楽しむ。
こうゆうときの行動力や知力、財力に『大人』の素晴らしさをみる。

会場のあった神戸元町の高架下は、人通りが少ない。もう上がることのなさそうなシャッターのジャバラを楊枝でほじくれば、影になった人間のススが出てきそうだった。

三宮のそれよりも地の利が無いというわけではなく、地震が来るまでは人通りもなめらかだったそうだ。
ビフォアを知らない私には頭の中でしかそこにたどり着けない。しかしいま見ているこの町に含まれた情報量の多さ、というのを少しでも垣間見た気がして、右腕の古いケロイドがざわついた。

ときに、ニュースでよく聞く『防災対策』という言葉。
私これだけはどうも、いただけない。
しかしそれを言っても始まらない(いやもしかすると『始まらない』くらい呆れ返らせる様な状況を先につくっておいて、『?』をそもそも出させないという根回しなのかも。『こんなこと言葉のプロや国家の船頭が間違える筈は無い』→『きっとこっちが間違っているのだ』→(恥ずかしいから口をつぐむ)という具合に)。
そして何よりね言葉そのものよりも、こういう風にして結局、里山は削られ高架はできてゆくのだろうな、という含みを垣間見た。
普段付き合いの無いひとにメールをつくる。
ちょっと堅いなと思い冗談を入れる。
ただその末尾に(笑)をケチったものだからそのひとはきっと、真に受けてしまうのだろう。
じゃあそんなに可笑しくもない冗談の場合はどうする。
(小笑)?それとも((笑))?
常識、と言うわりにはその内実は常ならむ。
流行、と言ってしまった方がどんなに楽か。

いちばん安かったバス会社で手荷物(楽器)に課金された結果、どこよりも高くなった。ただ、問題は私の運賃と同額だったことだ。
やはり医師はメスを置いて飛行機を離れてはいけない、ストラディバリを措いて音楽家は音楽になれないということか。
ぢつとギタアを見る。