夏がおわった。
もう半月もまえのことだが、
このことを明記するいままでの半月は、じゃあなんだったのか。
どちらでもない、それなのにグレーとしっかり名前のついた、
袖でいうと七分丈。美人でいうと八方美人。
さて、夏はおわった。
このことはミサイルよりも重要だ。
サンダルのストラップ柄に焼けのこった足の甲をさすりながら、夏をふりかえる。
生モヒートをまいにち飲みたくて、梅雨のおわりにミントをうえた。
生カプレーゼもまいにち食べたくて、バジルもうえた。
どちらも育ちすぎて別のステージに行ってしまった。
毎日モヒート、毎日カプレーゼを行のごとくつづけたが、
だんだんハーブに押されはじめた。
夏野菜はからだを冷やす、というが、まさにそのとおり
ほどなくして私は、低体温症になって搬送された。
ことしの夏はあついですね
と
ことしの夏は涼しいですね
は
バス停での会話にかぎらず、同義であるとかんじた。
とある残暑の候の日曜日、昼下がり
たしかに私は「暑い」とかんじていて、
それがせめてもの、私にとっての夏だった。
温度湿度の数値ではなく、確かにその日は夏だった。
友人と安い弁当をかってきてビールをのみ乍ら、
毎年恒例のTVショウを
マンネリだ偽善だと非難するのか、
そのなかにある真実のみを数値として抽出するのか、
座りのわるいポジションから眺めていた。
ほどなくして友人の奥様が帰宅し、予期せぬ空き巣の来訪に彼女は「えっ!」といった。
気を利かせたかえり道、つらなった町屋の縁側が、一斉に夕暮れの方を向いていた。
夏はおわった。
このことはカツカレーよりも重要だ。
秋も進むこと三十昼夜。私の右手は右足は、
すでに夏へのカウントを始めている。