カップ麺のうどんをたべた。
麺と、具材のかまぼこ(的なやつ)の、食感がいっしょだった。
味についてはもとより、うどんつゆを3分吸ったミイラ同士だ。いっしょだ。
つい先日、ながらスマホと二宮金治郎の危険性を較べる機会があった。
前者のがよりエンタメであることから危険となった。五感のうちいくつを供するか、ということでもある。
お皿のなかで属性が、複数にまたがってカブるとき
皿のたいらげ側としてはけっこう困惑なのかもしれない。
わらい声までおんなじ、ということの是非を再考する時代がきたのかな、と思った。
お隣さんは他人である。
かまぼことちくわも、いとこじゃなくはとこ、なのかもしれない。