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2018/04/08

きのう、今日と、
風がつよくて秋のような仄切なさを感じますが、
お花見シーズンもオフとなり、八重桜のころとなりました。
ヨシノソメイ、てDCみたいですね。ピンクのニットソーでペアルックも素敵!

中学校だったか、国語の教科書でおなじみの大岡信さん著『言葉の力』。
桜は樹皮から桜色である。
この季を期におもい出す方もすくなくないのではないでしょうか(要約が粗雑ですが)。

お花見にひっかけてさがすと、
缶ビールの外身と中身は(ほとんど)色がちがいます。
ゆで卵は途中までいっしょですが、ラストはちがいます。ゆでずに混ぜると、ちがいます。
これは混色の法則に由来するのでしょうが、黄色のほうが生命をもっているということも、おもい巡らせてしまいます。
から揚げはカラだけちがう。揚げすぎるといっしょになりますが。ということはタンパク質にとって黒色の意味が特別なものにおもえてきます。
レモンをしぼって光をとおすと、その色はうっすらレモンです。トマトはどこまでトマトでしょうか。

もう長いこと、歌詞に嘘がないか、を気にしています。
世の歌詞すべてノンフィクションなわけもありませんし、よもやそこを嘘とはおもいませんが、
つかいたい言葉やテンプレートを最優先にしてしまい「ああ自分、嘘言ってるな」と、ゲンナリすることも。
こないだ神戸でミツミさんと、曲で人わかるよね、という話をしました。
ひとの、特定の部分については、曲(歌)のほうが雄弁だとも、おもいます。
歌のほうが感情的だし、感情をより出して許されるのも歌だとおもいます。
このとき、意味づけされた感情であっては、その音楽鑑賞の目的がまるでちがってくる、そうおもいます(良悪不問)。
「まず届いて、伝わること」と話すミツミさんの歌詞はなるほど、淀みやまどろっこしさを感じさせません。
歌っていい言葉と話していい言葉、この分別がいいな、と唸りながら新譜を聴いています。

私のからだ、皮膚と血とは違う色です。混ぜるとどんな色になるのかな。
自分の歌は自分のものだろうか。自分のからだから出たものだろうか。
そのとき、自分のどこを切っても、その歌に染まっているだろうか。
葉桜となったYoshino Someiの夜道をさんぽしながら、こころの中につくしんぼをみつけた春です。

別件ですが昨夜、財布を忘れて呑みにいきました。
一昨日のよるは小銭しかないのに呑みにいきました。
さいきん前髪が長くて揚げているのですが、そのせいでサザエさんの霊がやどってるのかも、とおもいました。
サザエさん1946年で24歳とのことですので、96歳だったらまだ生霊かなあ。どうおもいます?
どうおもいます皆さん?