わたしの名前はベスト8。
姓も名も、いただいて早37度目の夏をむかえるところです。
役所にいくとわたしは自分の姓を『伊藤』と書くのですが、
耳目になじみのよいこの名前。そうでしょうね全国8指に入る人口ですこのなまえ。
思春期のころは、なんにでもアイデンをほしがって
こんな扁平な名前なんて、と投げすてる窓をさがしていましたが
いまはマジョリティあるある、とかで遊べてるので問題かんじてません。
親戚のような『伊東』さんは全国200位くらい、とうかがっていますが
8位でも200位でも、本人がドコ座りたがってんのか、てことですね。
さて、あるあるの話です。外は天気雨です。
SS(鈴木さん佐藤さん)にはとおく及ばない私ですがやはり、
会う人住む町居る時代、いつでもどこでも伊藤にあえる。
そんな安心感を逆手にとっての卑屈が芽吹き、
だれかと初対面のたびにいつも、ああどうせ、と、そう思ってしまいます。
「このひともきっと『伊藤』なんだろうな」
そして
「このひともきっと僕のこと、『伊藤』だと思ってんだろうな」
人生が伊藤色に染まってしまい、
伊藤以外の価値観をみとめられなくなります。
風呂屋では靴箱、ロッカー、貴重品入れ、すべてに『110』を求めてしまい、
そうじゃない日は湯もぬるいと感じます。
姓も名も、基本的には選べません。
与えられた『運命-さだめ-』を受け入れ、自分のなかに揺蕩う部分をもつ。
それは良いのですが、私の場合は風にあばれた柳糸がまきつき、
もはやセルフ亀甲縛りの状態です。
こんな状況を打破すべく…
あごめんなさい1時10分のお祈りなんで続きは今度。