ゆうとくけど、この日記は作り話ですよ。

2009/10/20

私はこの間、
先祖より代々受け継いでいる裏山の手入れをしていた。
そこで、初めて蔵を見つけた。
恐らく数代にわたって気付かれずに居たのであろう、
すっかり錆びついた錠前は簡単にこじ開けられるほど弱っていた。
蔵の中の様子はさておき、そこで私はひとつ、気になる文献めいたものを見付けた。
以下はそれを基に私がたてた仮説である。
『おっちょこちょい』
という言葉。
もうすっかり使い慣れないものになってしまったが、この程度のブログを読める方なら耳にされたことはあろう。
その意味は言うまでもなく、言うまでもないので言わない。
しかしその由来、となるとどうだろう。
ふっふっふ。
皆の、クビを45度に傾げている様子が浮かぶ。

ガードレールも、エアバッグも無かった、時は江戸の武士の時代。その頃ではひとつの『ミス』も時として命に関わるほど、
死の匂いに洗われた、ある意味では洗練された時代であった。
そしてその時代では現代に比べ娯楽というものが非常に限られており、ある一定の大人たちにとっては酒を飲むということが今よりも大きなジャンルを占めていた。
必然的に酒に関わる調度品も重宝されていたのである。
その最たるものが『猪口』(ちょこ・おちょこ)であった。
酒に酔うまでは良いが、その度を外し猪口を落とし、割ってしまいでもしたら。
とたんに皆は悲しみ酔いも飛び、それを我がことのように悲しんだ。
そしてその度に皆々の口々から弔意が述べられたという。
決して喜ばしいことではないが、いつしかこれが習慣化し、
『猪口弔意』(ちょこちょうい)と呼ばれていった。
そしてこれは私の都合で転じ、先の『ミス』を総じて表す様になったのである。
そして『ミス』というものは同様に、その大小如何が非常に重要視されていた。
肩がぶつかりでもしたら切り殺されていた時代なのだから。
もうお分かりであろう。
その頃、『ちょこちょい』には
『大ちょこちょい』
(おおちょこちょい)
『中ちょこちょい』
(ちゅうちょこちょい)
『小ちょこちょい』
(こちょこちょい)
の『ランク』分けが為されていたのである。
時は流れ、時代が人に合わせるようになった。
子どもたちは黄色い旗に沿って通学し、
農薬がinだのnoneだのという余裕が私達にはある。
いつしか中小の『ちょこちょい』は大した『ちょこちょい』でなくなり、ある意味淘汰をされていったのである。
そして、土俵ぎわで踏ん張った『大ちょこちょい』だけが『ちょこちょい』全般を表す言葉『おっちょこちょい』として生き残ったのである。

考えてみれば平和な時代である。
先の日記にも書いたが、平和というおかずがあるならそれは、私に一体何杯の飯を食わせてくれるのだろう。
時として強烈に、平和は不和を求めているよう感じられてならない。
この際、小さなちょこちょいから、
始めてみようか。