父からめいる北。
正月は帰省しないのか。
父はまだ50台前半、
まだまだアラフィフ。仕事もバリバリしてる。
スポーツマンで元気だが、
それなのにこうして毎年毎年、
同じコトを訊いて来るのは
別に「メシゃまだかい」の仲間じゃないとおもう。
兄夫婦は年明けてからかな、
広島のいとう家に
帰省するらしい。
ふと、おもった。
皆さん、盆正月に親戚が集う家って大体
固定ですよね?
私のとこではそれ、母方の祖父母宅がそうで、
今は祖父は居なくなり、私達、孫ズも散りちり、家庭を持って、
皆でウ○コつついてたり
庭で薪割りしてた頃に較べて明らかに、距離ができた。
いつかばあちゃんちは、人が居なくなっちゃうんじゃないか、
と思った。いやま、
それはそうなんだろうね。人殺しだめ、と同じレベルで。
あたりまえ。ただもっと、
もっと切なくなったのが、
例えば私に流れてるばあちゃんの血が、私の子の代で(単純計算で)半分になる、とゆうこと。私でさえ1/4なのに。
引き裂かれていくばあちゃんの血が、
別れる両親に両腕引かれて痛がっる子に見えた。
馬に両裾引かれて耐えてるジーパンに見えた。
血が、泣いとるわ。
勿論こっちの勝手な『汲み取り』で、誰からも苦情なんて聞いてないけどね。血は喋んないからね。
でも。
私も、
いつかだれかにどこかでこうして
薄まった血を嘆かれたのかな。
うん。やっぱり取れない。
ずっと昔から気になってるのに、未だに明確な『答え』を求めてる。
だな。これ、お時間許せば読んでみてください。
兄夫婦は恐らく、ばあの家にも顔は出すと思う。
でもほとんど、
ほとんどだろう。
これで、わたしたち一家は
祖父母家から独立した。
そうだよね。そうでしょ?
ライブ会場に置いて帰ってた
バイクと機材を取りに行った。
隣の、気になってはいる鹿鳴館テイストの喫茶レストランで
お見合いパーリーみたいのをやってた。
私もお見合いのシュチュエーションに
憧れはあるけれど、
(特に『ご趣味は~?』のくだりと『食後は鯉の泳ぐ池の縁を散歩』)
断りきれない縁談とか
おやじ、回してくれないかしら。
まあそれが将来無望低収入の
わたしに回ってきた時点で
父は無責任の
烙印をおされるけれどね。