歯磨きのとき、
水をとめたら1円の節約。
トイレの水の、
トレードオフに頭を悩ませる。
匂いじゃなく倫理との。
きんぴらが、不味く仕上がった。
いつもぺぺっとつくってるからミョウガないか、
とくに理由をかんがえるでもなく、お弁当につめる。
すてたくないから、食べる。すてられないから、目をつぶる。
そんな包容力がつづくこと数日、
沖縄みやげに『ちんすこう』をいただいた。
きになるお味は『雪塩』とのこと。
なるほど、あまからの宝石箱はかざり気もそこそこ…美味しい。
甘いボディーに甘味を盛るところ、今回は
…あ。
ここで日曜のキンピラがフィードバック。
砂糖いれてなかった。
ちん◯こうの礼もそこそこに、帰宅。冷蔵庫をあける。
たっぷりのザラメと、ちょっとバター。ツヤプルのきんぴらにメイクアップ。
ごめんねキンピラ、おれ…きみのこと見れてなかった。
そして…ありがとう、ちん◯こ◯。
さっきまで街にいた。
友人の演奏をきいていた。
月曜にイベント?
そうきっとフェイクにちがいない。
だって、きょうは私の誕生日。
昨日、さそいをうける。
やけに急だな、とおもう。
でもしかたないか、明日は誕生日だもの。
タスキを買いにいく。
『主役です』のタスキ。
ひとしきり、サプライズに驚いたあと
「いやぁ恥ずかしくって汗出てきちゃった…ちょっと一枚ぬぎます」
と芝居して、ぬいだらしっかり主役のタスキ、というながれ。
この件はむかし、いちど成功している。
つかいまわしは不本意、だがしかたない。
だって誕生日だから。
そして今日。夕方はやめに帰宅した。なんならシャワーまで浴びた。
タンクトップにタスキをまとい、黒色のTシャツをかさね、街にくりだした。
会場では演奏がながれていた。どうせ幕間とかMCで呼ばれるのだろう。
悪目立ちなんてしたくないが、誕生日のさだめだ国民のためだ、覚悟をきめてTシャツのなかに手をいれた。
…結局そんなサプライズはなかった。話題にすらあがらなかった。
カウンターでちびちび飲っていると、べつの友人から、おめメールが来た。携帯をカウンターに置きっぱにして、皆にみえるようにしようかと画策した。
…しかしそんな勇気はない。だいいち、きょうは私の誕生日でなくライブの日なのだ。
演者を敵にまわすと後がつづかない。ここはアフタートークの奇跡に賭けた。
30分後。ふらない雨に顔をぬらした帰りみち。
台風のおとしものか、夜の国道はやけにすずしかった。
でもなぜかしら、肩から腰にかけてレジメンタルにあたたかく、おかげで風邪をひかずにすんだ。
こんどから常時、携帯しよう、そうおもった。
エブリバディたすき。
料理用のワインが切れてて、
買い置きのスパークリングをやむなくあける。
コルクのうえの、金属の栓。これをクルクル、ほどいていくと…
「ポンヌ!」
…抜いてもいない栓が、抜けた。
この喜びを、おじいさんとおばあさんと犬と猫とネズミたちにわけてあげたい(おおきなかぶ)。
肝こそ冷やしましたが、やはり夏は夏。
暑いから、椅子はつくりませんでした。
明けそうで明けない梅雨、といった具合でしょうか。
雨はすきです。
高校の3年間でほとんど傘をつかいませんでした。
登校をともにする友人が手向ける情けをも拒みつづけ、
となりの女子校で湧いた噂は私の異常さではなく
友人の非情さ(自分だけ傘さして!)ということでした。
いまも雨具はめったにつかいません。
小雨のことは『肌水』と呼んでいます。
「傘さすと逆に濡れる」と、昔もいまも考えています。
空があやしいとき、皆さんは雨具、持ちますよね?
私は逆です。よっしゃラッキー、と思います。
「じぶんがバイクで出かけたときは、雨がふらないことになる」
「あっ、晴れるよ。だって今日チャリだから」
さいしょは冗談で言ってましたが、言い続けているうちに境目がやばくなってきました。
この心持ちを、自分ではちょっと控えめに、『ポジティブ』と称していました。
ある友人はこれを『中二』と言いました。
別の友人は『小二』と言いました。
また別の友人は『妖精』と括りました。
結論めくと寂しいのですが、
ケガや失敗をどう捉えるか、という話だとも言えます。
海中に道を見つけたモーセも、実は究極のポジティブだったりして。
ズブズブっと、ねッ!
わたしの名前はベスト8。
姓も名も、いただいて早37度目の夏をむかえるところです。
役所にいくとわたしは自分の姓を『伊藤』と書くのですが、
耳目になじみのよいこの名前。そうでしょうね全国8指に入る人口ですこのなまえ。
思春期のころは、なんにでもアイデンをほしがって
こんな扁平な名前なんて、と投げすてる窓をさがしていましたが
いまはマジョリティあるある、とかで遊べてるので問題かんじてません。
親戚のような『伊東』さんは全国200位くらい、とうかがっていますが
8位でも200位でも、本人がドコ座りたがってんのか、てことですね。
さて、あるあるの話です。外は天気雨です。
SS(鈴木さん佐藤さん)にはとおく及ばない私ですがやはり、
会う人住む町居る時代、いつでもどこでも伊藤にあえる。
そんな安心感を逆手にとっての卑屈が芽吹き、
だれかと初対面のたびにいつも、ああどうせ、と、そう思ってしまいます。
「このひともきっと『伊藤』なんだろうな」
そして
「このひともきっと僕のこと、『伊藤』だと思ってんだろうな」
人生が伊藤色に染まってしまい、
伊藤以外の価値観をみとめられなくなります。
風呂屋では靴箱、ロッカー、貴重品入れ、すべてに『110』を求めてしまい、
そうじゃない日は湯もぬるいと感じます。
姓も名も、基本的には選べません。
与えられた『運命-さだめ-』を受け入れ、自分のなかに揺蕩う部分をもつ。
それは良いのですが、私の場合は風にあばれた柳糸がまきつき、
もはやセルフ亀甲縛りの状態です。
こんな状況を打破すべく…
あごめんなさい1時10分のお祈りなんで続きは今度。
きのう、今日と、
風がつよくて秋のような仄切なさを感じますが、
お花見シーズンもオフとなり、八重桜のころとなりました。
ヨシノソメイ、てDCみたいですね。ピンクのニットソーでペアルックも素敵!
中学校だったか、国語の教科書でおなじみの大岡信さん著『言葉の力』。
桜は樹皮から桜色である。
この季を期におもい出す方もすくなくないのではないでしょうか(要約が粗雑ですが)。
お花見にひっかけてさがすと、
缶ビールの外身と中身は(ほとんど)色がちがいます。
ゆで卵は途中までいっしょですが、ラストはちがいます。ゆでずに混ぜると、ちがいます。
これは混色の法則に由来するのでしょうが、黄色のほうが生命をもっているということも、おもい巡らせてしまいます。
から揚げはカラだけちがう。揚げすぎるといっしょになりますが。ということはタンパク質にとって黒色の意味が特別なものにおもえてきます。
レモンをしぼって光をとおすと、その色はうっすらレモンです。トマトはどこまでトマトでしょうか。
もう長いこと、歌詞に嘘がないか、を気にしています。
世の歌詞すべてノンフィクションなわけもありませんし、よもやそこを嘘とはおもいませんが、
つかいたい言葉やテンプレートを最優先にしてしまい「ああ自分、嘘言ってるな」と、ゲンナリすることも。
こないだ神戸でミツミさんと、曲で人わかるよね、という話をしました。
ひとの、特定の部分については、曲(歌)のほうが雄弁だとも、おもいます。
歌のほうが感情的だし、感情をより出して許されるのも歌だとおもいます。
このとき、意味づけされた感情であっては、その音楽鑑賞の目的がまるでちがってくる、そうおもいます(良悪不問)。
「まず届いて、伝わること」と話すミツミさんの歌詞はなるほど、淀みやまどろっこしさを感じさせません。
歌っていい言葉と話していい言葉、この分別がいいな、と唸りながら新譜を聴いています。
私のからだ、皮膚と血とは違う色です。混ぜるとどんな色になるのかな。
自分の歌は自分のものだろうか。自分のからだから出たものだろうか。
そのとき、自分のどこを切っても、その歌に染まっているだろうか。
葉桜となったYoshino Someiの夜道をさんぽしながら、こころの中につくしんぼをみつけた春です。
別件ですが昨夜、財布を忘れて呑みにいきました。
一昨日のよるは小銭しかないのに呑みにいきました。
さいきん前髪が長くて揚げているのですが、そのせいでサザエさんの霊がやどってるのかも、とおもいました。
サザエさん1946年で24歳とのことですので、96歳だったらまだ生霊かなあ。どうおもいます?
どうおもいます皆さん?
皆さんが仰るとおり、ファッションにはややこしい拘りをもつ私ですが、
褒め言葉としての『お洒落』とはもうずいぶん前に喧嘩別れをしています。
なので他人様のファッションを注視することもありません。
先日まではそうでした。
ショッピングモールで迷子のアナウンス。
お子様の見た目を客観的にアナウンス。
…この色合わせはちょっと…いただけないな…。
顎に手、の自分が居りました。
ハッとして、いそいそと退出。
これが自分のゲートを開いてしまったようで、
ニュースでも「被告は黒いジャケットで証言台に…」とかありますよね。
顎に手、で聴いています。
皆様、どうかお願いです。
もし私が貴方の前で顎に手をやるようなことがあったら、
その時はその手で私を…私のことを、私の耳を塞いでください。