さあて今日は、
なにを、
考えようかな。
7月21日
友人のたんじょう日をわすれていた。
おもいだした、昨日だったァと鼻ひろげたが本当は今日だった。
投票いってから、スーパーで買い物しながら
ああ、ということは私がいつも国産大豆の納豆を買っている
このこともひとつの投票だ、と思った。
そして選挙にでないでも、革新を志すひとは出馬だとも思った。
数年前の自分がみらいの子孫にのこしたレシピを発見する、それで食事をしてみる。
自分が煮詰まって行く作業。
いっしゅんたち止まって、レシピだって時代や環境にあわせてアレンジが要るのでは?と思った。
あれから自分も30代になったし、地球が揺れたり先生が変わったりしたのに、同じレシピでいいのか?
給料日には親子丼が他人丼になるじゃないか。それをしないのは無粋だって。
材料をいつもより大きめに切って、ワイルドな振りをしてみた。
みんながみんな主張をするから、きが狂いそうになった。
デモクラシーは、きがくるう。
16:30
日曜の16:30に髪を切る、予約をした
そんなことを思い出した土曜日の夕方
明日の今頃はどうなっているかな、自転車をこぎながら
斜め上方を見据えて矢文はなった
思い起こせば
予約を入れたのだって夕方だった
金曜の自分があこがれた先の自分に
いま、すこしずつ近づいていることへの高ぶりといったら
そして日曜の時分の自分は金曜の自分に手紙を書いて
こんなんなりましたよ、と親告するのだろうか
金曜と日曜にはさまれて土曜日を生きる
ただひたすらに料理をこさえ待ち人きたらぬ、女のことを思い出した。
いつどんなときだってドラマになるし、ならない
隣のドラマは小説に勝る緑さをはなつ
16:30を軸に据えた私小説が、しばらく続く
他人の出した神輿に乗っかって名前をうしなうことが
実に哀れを感じさせるので
さあ今日も16:30に思いを馳せるとしよう
明日の16:30は何をしていよう。
ガラス割りトリオ
先週のこと。
ぜったいに割れない、
ガラスのうつわで手を切った。
ずっと指の傷を見ていた。
手は指というのは創造に欠かせないものだけれど
こんなにも地味でかつ重たい表現というのは流血してるときぐらいのものかも知れない。
ふてくされた、ほっぺの膨らんだ女の子にじっと、にらまれているような。
血を流さない暮らしでいると
そんなにも珍しいのか、はたまた年に数度のお祭りか
血の流れるさまを見ていた。
ガラスが割れるのはだいたいが不本意
つまり流れた血の量は、どれほどそのガラスを、割れない、と信じていたかに比例する。
ぺたぺたと妖怪のように
赤黒い血溜まり。
安いチリワイン
絆創膏のかおり
あとづけの、ロゼごっこ。