ワードの犬と知り合って
随分と経つ。
ワードトワ言っても今の時代じゃ
後付けアプリが増えて増えてして
果たしてワードばかりが文章ライターでは
なくなってしまった、
だから、なのかな。
今日、ワードを打っていて、
無精ないとうは苦笑も早々、
コピー&ペーストを実行。
ところでこのコピー機能、
ワードを閉じさえしなければ
(何もせず放置してるなら)
ずっと、覚えたまんま、残ってる。
試してないけれど、理屈からすれば
きっともっとずっと。
1年2年、10年でも。
貼り付ける先を待つ渋谷駅前みたいで
ふ、
と。
かなしい気持ちに
なってしまった、
真昼の昼下がり。
それがワードの犬へ向けられた哀れみなのならばまだ
始末がよい。
可愛らしいキャラクターが眼の前でスンスンしてるのは確かに、
お涙をさそう
ものがある。
【例:こんなつぶらな瞳して何も知らないで、ずっとまってくれてるのね、きゅん、という気持ち】
犬つながり、でもあるし。
でもね、
私、犬は使ってないんですよ。
イルカもロボットも
全くなにも。
だからむしろこれ
『誰か』に向けることが出来なくて
悲しいのかもしれない。
かなしい気持ちは確かにあるのに
一体誰が哀しいなのか分からずに、
ソレだけが
浮いているかんじ。
ここにキャラクター先行的な売り買い手法、
ひいてはそれを軸とした、
現代のOSが抱える原罪が、
あるような気が、した。
泣きながら母に
ナタを振り下ろすしぐさ。そんなことを思ってふう、
よるじゅうじか。
矛先失って、のあたりは
別の話題で、また後日書きます。