目がちいさい、というか
切れ長というか。
ぱっちりしたお目目ではないな自分はとおもっていて
扇風機を顔にむけて読書なりしていると、
乾くので目を細めている。
これはよくない。
生存をかけてちいさくなっていったネズミの躰よろしく、
私のまぶたはこの位置で固着してしまうのだ。
よってゴーグルを装着した。
なんかこの流れ、
サザエさんのエンディングで流れてそうな絵面だとおもった。
もう
すぎちゃったのも含めて。
2016.02.26
『ピクニックゴールデンLIVE』
2016.03.13
『徳島ロックストリートvol.11』
詳しくは
『予定』ごらんください。
何年かまえに、ふた目惚れして、
うんうん、言って買った一輪挿し。
ドライばかりが占めたわが家に花を買ってきて、挿して愛でた。
たのしいのは最初だけ。
まもなく疑いや嫉妬に苦しみはじめ、エクボをアバタと詰りはじめた。
350円は安かった高かったと値踏みをはじめた。
花はなにも言わない。
さいごは捨てるか、ドライに迎合か、とはおもっていたけど、
まもなく別の問題がおきた。
生きものはアナログだったので、さいご、がわからなかった。
よぉし、じゃあもぅ先生も
さいごまで見届けてやろう(ドカッ)!
花びらのぜんぶが落ちるまで。
もちろんもう、ドライにはできないだろう。
でも、待てどくらせど、花びらは落ちなかった。
ただ、落ちないけど、枯れていった。
少し、イラッとした。花はなにも言わない。
いくら水揚げをしても塩梅を足しても、
そこまで生気めぐらす力がのこってないのか、つぎの世界へあこがれか、はたまたその両方か、
水気だけがスッと、引いていった。きれいな桃色のまんまで。
棺のなかで紅をさした、祖母をおもいだした。
とはいえ、これでは困る。
合図を欠いては、命のきわがわからない。
心停止、脳死もなしに臓器をとりあげるなど。
じぶんのこの手で指で。
人気の定食屋が閉店した。
「元気なうちに閉めるのが商売の基本」だと、おかみさんが言っていた。
でも自分はもう混乱してしまって、元気と不元気のきわも分からなかった。
ひとりの世界はここからがややこしい。
練り上げてねりあげて、考えばかり煮詰まっていった。
そうこうしている内にアブラムシが集り、吹きかけた水のすべてが滴となっていった。
こんなの困るだろうな、でも冗談まじりなら、と車にのった。
買った花屋にたずねてみようと思った。
道すがら立ち寄った店でこぼしたこの話に、友人は
「母は、花を捨てるときだけ包んでいる。」
と言った。自分は少し潮解した。
そこをでて帰宅し、花にしばし、お別れをした。
花に辞世の句を問うたが、花はなにも言わなかった。
そういえば花の名前を、自分は知らなかった。
写真でもとっておけば花屋にきけたのに。
そうかこうゆう時に写真は、役立つのか。
下手くそな絵筆をとった。