右向いて寝てもいい?
Read More彼女にとっては
「…もういいかげん『の』の字を書くのは終わりにしたいの」
あまり知らない南の方に車を走らせて来た。晴れた6月の月曜日。唐突に、彼女は言った。
「それこそ毎日何も知らないで『の』の字ばっか書かされてさ、ばかみたい。」
たまに見せるドナルドの様な唇で、ああこれは不満なんだ、とすぐに分かった。
「だいたい『の』なんて、おっ、おわっちゃっちぇるじゃない。終点から始点まで注ぎ口を移動させること幾センチ…無駄よ!」
ときどき思う。彼女の方がよっぽどか彼氏なんじゃないか。その座標で数値化されたかの様な野田琺瑯の動きは、このカップルの不確かなベクトルを描いていた。
「『の』を書いて戻って、てなにこれ、これじゃ『の』じゃなくて…くす玉よ!割れたくす玉よ!」
そろそろ注文を決めなければ。繕った様な笑顔の店主らしき中年と何度も目が合う。
「…ねえ、だからお願い、NTTとは言わないわ、せめて『8』の字、ううんSOGOでいいの、自己完結させてよ、ねっ。」
彼女はおもむろに、目の前に『当たり前に置いてある』ミートスパゲティを、フォーク1本で器用に食べ始めた。
きっと彼女にとっては服や顔に走る鮮血なんて、それこそ本当に絆創膏で隠してしまえば、なんて言い兼ねない。微々たることだろう。
この料理が自分のプライベート・ゾーンぎりぎりで頬杖をつく、この男のために出されたものだとしても、彼女にとってそれは今はどうでもいい。今は。
彼女のそういうところが、嫌いだ。
Read Moreロングレッグアゴー
私は脚が短い
そのことは機を得る毎に公言して来た積もりだが、現状をみるにこれは未だ積もりの域を脱していないのだろう
私は脚が短い
十数年前の記録に拠れば、私の座高は100センチである
そして股下はおよそ70センチになる
私はスレンダーだし、そんな自分を嫌ってないから、周りには逆に『脚が長い』と思われるようだ
甚だ、迷惑である
私がひとに『がっかり』される時、いったいどれほどのMPを消耗していることか
勝手な想像は妄想に他ならない
私が着ているセットアップは父からのお下がりが多いが
10センチ近く高身長である父の上着はジャストフィット
スラックスは…直す
これが親子とは言え拭い去れない諍いと云う物で有る
ジーンズショップで
矢張り、同じ様な悩みを抱くことは必至
スソ上げる量が半端ないので、仮にタダでも自分で上げる
珠に、あっぴったりだ!と云うのが有っても其れは
レディースか、メンズの9分丈である。
若しも隔世遺伝が起こったら
父の孫がまたこれを着られる様に
スラックスのスソを落とさず折り込んでいるのは、私とテイラーの密約である
boys,go home without sideway(少年よまっすぐ帰れ)
昨日のこと。
近所のジェラ屋に足繁て、その帰りみち。
アイス、ペロペロしておりましたら少年が道を尋ねて来た。
日曜の昼下がりだから、てっきり福音書をそら読みする少年かと構えたが。
聴くと少年、○○小学校への『ルート』が分からない、と。
私は即答した、それ君の小学校じゃよね?と。
5月の日曜の昼下がりだから、少年には悪いが熱中症を疑った。
話を統合するに、『鬼』から逃げてる内に不慣れな、通学路と反対の、この辺りまで来てしまった。
逃げ過ぎて…仲々、十代してるじゃないか(8歳でしたけどね)。
交差点で背筋を伸ばしてじっと待つ少年は実に礼儀正しい。
私はふと気になった。この画のままでは私が少年からアイスを奪い取ったモラトリアムの剛田武に見えるじゃないかペロペロ、と。
食べる?と差し出した。しかし少年はやはり、丁重に断った(まあ食いさしや、要らんよな)。
道中、少年は色々な話をしてくれた。学校で読んでいる本のこと、今日遊んだ上級生(彼を見捨てた戦犯)のこと。
しかし私は、まさか自分だけが貪る訳にもいかないアイスが、溶けないか溶けないかと必死で見張っていたのだった。
私の視野に小学校が入って来たころ、少年の電球もチカチカっ、とし始めたらしく、2人はお別れをした。
私は言った。「まお兄さんもずっと『いきかた』が分からないんだ。」少年は聞いていなかった。
コーンの底から元アイスをチューチューし乍ら、否待てよ『お兄さん』はなかったよなお兄さんは、と反省した。
ところで我々の福音書こと『BOYS BE…』を散読してきて思うに、
ここで言う『大志』とは『エロ』のことで良いのでしょうか。
否若しくは、そう思ってしまう私のアンビシャスがまだまだ足らないのでしょうか。
休日はバルコニーで爪を切り
トラブルや 最初からの思いの違いなんかで
すすめたい話が固着してしまったりしたとき
だいたいどちらかがエクトプラズムのように
「ふー、難しいねえ。」
わたしにとっては まだ
毛の色が緑じゃないデッキブラシを探すことのほうが難しい
デッキのこすりかた こする道具まで
こんなにも団地めいているなんて
まウチはただのベランダですけど
Read More花を捨てる
日曜のこと。明日ではなくこのまえの。
空くじのない『春の嵐』こと春の嵐がやって来て、
私は、まどごしに風をながめて居りましたら
先日、『ざし』にした一輪が
アブラムシのしずくを垂れておりました。
それは正直、いやだなあ、と
なむなむ言い乍ら水で流しましたら
ふと、亡くなった祖父のことをおもい出しました。
花はいつまで花なのか。
猫の死体は猫なのか。
少なくとも花は『枯れ』ます。
最初から、わかっていたんです。
わかって、だからこそ敢えて、そのいのちをウチに連れこんだ。
死ぬに向かって生きている、とは仏様の談だっけ
そのときからずっと、終わりかた、というのを考えています。
そういえば、花の生け方愉しみ方、は数多あれ
捨てかたは聞いたこと、ないもんなぁ
買った店にクレームを申してみようか
刹那のたんいで花をやっているプロに敢えて能面で問うてみれば、なにか面白いが起こるかも、しれない。
もしくは本当にハッとするよなプロ意識を食らわされたり、して。
でも、こんな客…こまるよなぁ。
そんなことをかんがえ乍ら過ごした日曜日(このまえの)。
花屋に行くまでにふと出会った3人の賢者が、こんなこまる話を丁寧に聴いて、応えてくださいました。
そうこうしてる内に夜はふけて花屋もしまり、少しほっとした顔の私は花のもとへ帰ってゆき、写真をたくさん撮りました。
ことばに依りますがやはりこの花とのかかわりが
わたくし人間のエゴにまみれたものだと言うことに躊躇いは有りません。
では私がエゴしたのはこの話の、いったいどこからか。
アブラムシを溺死させたからか。それとも花を買って『生ける』などと洒落た時か。買おうという閃きから既に始まっていたか。
花を花として、意識した人間に生まれたことがそもそもそうなのか。
日曜のことを火曜に書いているので、そしてまたすでに その姿は写真とちがいます。
さらに放置して土曜に追記してるので、花びらは音もなく音をたて外から内へ、思い出になってゆきます。
老衰で亡くなった母方の祖父は
たくさんの家族に囲まれて、自宅で逝きました。
すべての皺がその皺の賜物たちにより拭われて、しずかに逝った祖父の、実はその内に嵐があった。質量保存の法則でいうところの命のかたまりが。
さてさてそんなこんなで約いっ週間。
古い包丁ってどう捨てればいいの、と調べてたら
包丁(刃物)供養、というのがあるのですね。
なんだこの悩み、全然普通だったんじゃん。

