携帯臨終

2019/04/11

「携帯だけど、どうやら今夜がヤマだ。
ああもしもし俺だけど。ちょうどいま、親族でからだを拭いているんだ。
いや、もう水没の心配もいらないからって医者が。
うんわかってる、終わってから来れるか?
えっ、この電話はどうやって…、って?

…ふふふ。

…ふふふふふ。

…新機種だよ。」

ふるい携帯をなおしながら、だましだまし使っている。
部品とりの同機種は4つ。
すげられてかえられて、もはやお前なのかさえ、自信がない。
それがついに、充電できなくなった。

10年ほどまえ、展示の機会をいただいた。
ノートPCの穴という穴にデバイスを挿しまくり、線という線で見えなくなったほどの筐体に、
『おじいちゃん』とキャプションした。

食べものをうけつけなくなった祖父は親族にかこまれて、そっと往生した。
小学生だった自分は看取りの経験もなく、照れと恐れで所在なく、
促されてやっと声をかけ、触れ、すぐに輪をぬけた。

目の前の公園の桜の花の、花弁の舞うのを眺めてすこしだけ、呑んでいる。
ポッケのなかの携帯は、未明のうちに散るだろう。