去年、今年と、
お芝居のワークショップに参加させてもらった。
役者なんて小6のときの『男子7』がさいごだったが、
ひさしい呑み屋でへんに気遣って一見のフリすることもあるので
できないということもなかろう。
むずかしい専門用語にみがまえもしていたが
現場に飛びかっていたのはむしろ、しった言葉のしらない用法であることがおおかった。
じぶんがふだん眺めている豆腐がかくれた多面体であることを、
あらためて噛み締めた。
いとしい隣人はいつも外国にいて、おもい馳せている出窓のしたを、つつましい物語が通過してゆく。
フェンスのように絡んではほぐれ、あしたはまた他人になるけど、ときどきふりかえろう。
両掌にあまるほどの仲間と刺激、胃もたれをいただいてかえった。
すこし不思議なことがあった。
おなじ受講生にすてきなお声の女性がいて、なんでもおなじ街で弾きがたりをなさっているとのこと。
なんとなくうかんできた言葉をそのままにしておいたら、のちに聞いたその方の名前とおなじだった。
どこかで耳目にしたことのあるお名前ではあったのだが、お顔とのリンクは取れていなかった。
そこまで人口も多くない街だから、弾きがたる女性が際立って多いということも、たしかにないだろう。
でもそのとき自分には、その言葉しかうかばなかった。
それがその方の名前だった。
数年まえ、知人にいわれた
「福井の出身だと思ってた。」
をヒントに、紹介のページを更新した(ほんとうは広島です)。
自覚や目標だけじゃなく、たとえば評判や印象も一体の人間にコミットするなら、
とある知人からの(まったく見におぼえのない)『フリ』をもって自分を塗り替えるのもよかろう、と実験的にやっている。
続けてたらほんとうに自分、そうなるんじゃないかしら。
と。
私には霊感も予知能力もない。テレビもラジオも持ってない。
なので一方的に推論すれば、もしかしたらその方(かりに花子さんとしましょう)は
もうすっかり花子顔だったのかもしれない。
おそらく『芸名』になるのであろうその言葉のひびきを
自分ごととして、むしろお顔から発していたのかもしれない。
しれないなぁ、とおもっていたら花子さんのお声でフレーズが出たので曲を書いた。
それを(脳内で)花子さんに唄わせながらカレーをつくった。
曲にしろ料理にしろ、ここのところ創作らしいことをしてなかったのでいやにカクカクしていたが、たのしかった。
ちなみに以前知り合った演者さんが福井の方で、
「へぇ福井なんですね!」とあやうく拡がりかけたが、これには早晩困った。
花子さんを見倣って、早いうちに福井旅行に行こう。
眼鏡の聖地もあるし。