Author Archives いとう優歌

ツリー点灯式

2017/12/03
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昨夜。
徳島駅前で、ツリーの点灯式をやっていた。
友人のThe春夏秋冬が演奏していた。

ステージはアミコ前にあったからであろう、vo.カロウが曲終わりに
『アミィ〜コ!!』
と言っていた。

誰もが気にはなっている、しかし取り立ててどうするというわけでもない、
そんな、おかしな落書きのような、ある種のタブー。
本件もまさにそれだった。アミコ、ってなに由来、とおもい馳せたことあるよね。
私だけではないだろうあなたも、そこのあなたも。

カロウはそうゆうところをピックアップする嗅覚に優れていて、
堂々と踏む強さも持っている。それが反骨なのか天然なのかは分からないが、たぶんギャグだろう。
10年ほど前、廃車にする前の愛車をボッコボコにしていた彼を見てけっこう引いたが、
同じ時期、自分も愛車に小石で思い出刻んでいたのをいま思い出した。
Dscf0009

 

 

 

 

 

 

彼らはもとより他の演者さんもみんな素敵だったし、個人的にも朝からハードな土曜日であったが、
これがハイライトとなった。

ところでこの会場、徳島そごうとも関係が深く、目の前が現にそごうなので演者さんも何かとお世話になるだろうに、
そごう入り口のタイル貼りを見るとあの『そごうマーク』の意匠が施されていた。
踏み絵みたいで演者には気の毒だと思った。
踏み絵

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「あなたが池に落としたのはこの金のレギンス?」「いえ金のレギパンです」

2017/11/17
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寒くなりましたね。

ズッボーン!

のしたに穿くやつについて、
見られて恥ずかしいかそうでないか、という話題がでました。
あるひとは恥ずかしくない。わたしは恥ずかしい。
しかしわたしもある日は恥ずかしくない。なんでか。デザイン?
そこで昨冬、気にしてみました。
パンツの有無でした。

パンツ、はややこしいですね。ここではパンティーのことです。
ズボンのしたに穿くやつのしたにパンティーを穿いていないときがあって、
そういうとき私は無意識下で『下着』の認識なわけです、ズボン下が。

ハロウィンもすっかり定着しましたが、あの最高潮の瞬間に魔法が、
現実的な意味での魔法がとけたらひとびと、どうなっちゃうんだろう。
と祭りのたびにおもい馳せています。いとしき他人たち。

いやパンティーもややこしいですね。

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選ぶな、そこに答えはない

2017/11/04
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きのうのお昼のこと。
趣のある定食屋さんで汁をすすりながら、おかみさんと話をした。

トシとソラはうつろうたびに、ひとの感傷をさそうよう。
さいきんは立ちしごとがしんどぅて、とおかみさん。
そんなトシでもないでショ、と私。

するとおかみさん、こう返す。
「けっこう歳いっとるんじょ、当てれたらタダにしたるわ。」

いくつに見える、は、もはや禅問答かもしれない。
いくつなのか、どちらにどのくらい離して応えるのか、いやど真ん中がいいのか。
このあたりを一瞬できめるのはしんどいので、対面した時点でそなえておいたほうが憂いがないのは、
女性にかぎったことではないように思う。

しかし今回は着地点がチトちがった。
言い当てることのメリット(ドヤ感と700円)と、
おかみさんの謙遜しながらも今まで「若く見える〜」と言われてきたのであろう自信と(実際そう見えましたし)。
みたことない天秤のうえを右往左往した。

帰り道。
おかみさんが言っていたひさしぶりの秋晴れを見上げながら、
やっぱりまだ天秤はつづいていた。
嘘とかいてホウベン、と読んだ先生をおもいだした。

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演技じゃなくなるとき

2017/10/15
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去年、今年と、
お芝居のワークショップに参加させてもらった。
役者なんて小6のときの『男子7』がさいごだったが、
ひさしい呑み屋でへんに気遣って一見のフリすることもあるので
できないということもなかろう。

むずかしい専門用語にみがまえもしていたが
現場に飛びかっていたのはむしろ、しった言葉のしらない用法であることがおおかった。
じぶんがふだん眺めている豆腐がかくれた多面体であることを、
あらためて噛み締めた。
いとしい隣人はいつも外国にいて、おもい馳せている出窓のしたを、つつましい物語が通過してゆく。
フェンスのように絡んではほぐれ、あしたはまた他人になるけど、ときどきふりかえろう。
両掌にあまるほどの仲間と刺激、胃もたれをいただいてかえった。

すこし不思議なことがあった。
おなじ受講生にすてきなお声の女性がいて、なんでもおなじ街で弾きがたりをなさっているとのこと。
なんとなくうかんできた言葉をそのままにしておいたら、のちに聞いたその方の名前とおなじだった。
どこかで耳目にしたことのあるお名前ではあったのだが、お顔とのリンクは取れていなかった。
そこまで人口も多くない街だから、弾きがたる女性が際立って多いということも、たしかにないだろう。
でもそのとき自分には、その言葉しかうかばなかった。
それがその方の名前だった。

数年まえ、知人にいわれた
「福井の出身だと思ってた。」
をヒントに、紹介のページを更新した(ほんとうは広島です)。
自覚や目標だけじゃなく、たとえば評判や印象も一体の人間にコミットするなら、
とある知人からの(まったく見におぼえのない)『フリ』をもって自分を塗り替えるのもよかろう、と実験的にやっている。
続けてたらほんとうに自分、そうなるんじゃないかしら。
と。

私には霊感も予知能力もない。テレビもラジオも持ってない。
なので一方的に推論すれば、もしかしたらその方(かりに花子さんとしましょう)は
もうすっかり花子顔だったのかもしれない。
おそらく『芸名』になるのであろうその言葉のひびきを
自分ごととして、むしろお顔から発していたのかもしれない。
しれないなぁ、とおもっていたら花子さんのお声でフレーズが出たので曲を書いた。
それを(脳内で)花子さんに唄わせながらカレーをつくった。
曲にしろ料理にしろ、ここのところ創作らしいことをしてなかったのでいやにカクカクしていたが、たのしかった。

ちなみに以前知り合った演者さんが福井の方で、
「へぇ福井なんですね!」とあやうく拡がりかけたが、これには早晩困った。
花子さんを見倣って、早いうちに福井旅行に行こう。
眼鏡の聖地もあるし。

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あなたは火曜日派? わたしは日曜派

2017/10/05
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カップ麺のうどんをたべた。
麺と、具材のかまぼこ(的なやつ)の、食感がいっしょだった。
味についてはもとより、うどんつゆを3分吸ったミイラ同士だ。いっしょだ。

つい先日、ながらスマホと二宮金治郎の危険性を較べる機会があった。
前者のがよりエンタメであることから危険となった。五感のうちいくつを供するか、ということでもある。

お皿のなかで属性が、複数にまたがってカブるとき
皿のたいらげ側としてはけっこう困惑なのかもしれない。
わらい声までおんなじ、ということの是非を再考する時代がきたのかな、と思った。

お隣さんは他人である。
かまぼことちくわも、いとこじゃなくはとこ、なのかもしれない。

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昨日のこと。

2017/09/18
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百均で迷子になった。

欲しいものがあって百均に行ったのに、ものの5分で飛んでしまった。
まあいい居れば、歩いていれば思い出すだろう、と虚ろな目をして、
ちいさな街をさまよった。

しかし、みんなが愛する百均は多種多様で多量。
台風の影響あってか、こどもたちにも格好の庭となっていて
錯綜する玉石な情報と、それに被さる遮断機が悩ましかった。
この際どうでもよいものを「あぁこれこれ」と得心してみようか。いやまてよ。

かばんからさっき読んでいた本をとりだし、センテンスを手繰る。やっとのことで目的を思い出す。
眼は爛々、足取りはしゃっきりとした自分にひと通り寒さを感じつつ、一周したところで肩を落とす。
百均にガソリンは置いてなかった。

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Untitled

2017/09/18
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いやべつに意義や主張はないんです
ただ…そろそろ呼び慣れとかないとマズいんじゃ、と思いまして。
『連れあい』って。

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ワッチャ ビューティフルネーム

2017/09/18
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ものの本で、匿名さんがふえた、といわれていた。
匿名さんにかぎらず『表現の機会』がふえ、記名のための欄がふえた、ということもあるのかと思った。

こないだ、川土手の道端で、でっかいコンテナをみかけた。
もちろんそれは落書きの洗礼をうけていた。
少年期を体現するような粗めのラッカー文字で、
面いっぱいに『参上』と、かかれていた。
だれが参上したというのか。
念のため左サイドにも回りこんでみたが、がら空きだった。

戦国時代、どんな下級武士でも
やあやあ我こそはどこの誰々なり…と名乗ってから刀を交えたそうだ。
刀を交えることも避けるような毎日、ということもあるのかと思った。
ヤンキーですら、ね。

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ナツイズオーヴァー

2017/09/17
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夏がおわった。

もう半月もまえのことだが、
このことを明記するいままでの半月は、じゃあなんだったのか。
どちらでもない、それなのにグレーとしっかり名前のついた、
袖でいうと七分丈。美人でいうと八方美人。

さて、夏はおわった。
このことはミサイルよりも重要だ。
サンダルのストラップ柄に焼けのこった足の甲をさすりながら、夏をふりかえる。

生モヒートをまいにち飲みたくて、梅雨のおわりにミントをうえた。
生カプレーゼもまいにち食べたくて、バジルもうえた。
どちらも育ちすぎて別のステージに行ってしまった。
毎日モヒート、毎日カプレーゼを行のごとくつづけたが、
だんだんハーブに押されはじめた。
夏野菜はからだを冷やす、というが、まさにそのとおり
ほどなくして私は、低体温症になって搬送された。

ことしの夏はあついですね

ことしの夏は涼しいですね

バス停での会話にかぎらず、同義であるとかんじた。
とある残暑の候の日曜日、昼下がり
たしかに私は「暑い」とかんじていて、
それがせめてもの、私にとっての夏だった。
温度湿度の数値ではなく、確かにその日は夏だった。
友人と安い弁当をかってきてビールをのみ乍ら、
毎年恒例のTVショウを
マンネリだ偽善だと非難するのか、
そのなかにある真実のみを数値として抽出するのか、
座りのわるいポジションから眺めていた。
ほどなくして友人の奥様が帰宅し、予期せぬ空き巣の来訪に彼女は「えっ!」といった。
気を利かせたかえり道、つらなった町屋の縁側が、一斉に夕暮れの方を向いていた。

夏はおわった。
このことはカツカレーよりも重要だ。
秋も進むこと三十昼夜。私の右手は右足は、
すでに夏へのカウントを始めている。

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