おとなになったら
わたし と言うこともふえたけど
あたし とはまだ言ったことがない。
年末年始、よもやま話
年末年始を里ですごしました。
コーディネートに困るくらい滞在してたので方言とか、復活するのかなぁ、と淡く期待してました。
同窓会で再会したあの娘が独身、くらい期待してました。
でも実際はパーツパーツ組み合わせて喋る自分がおり、さながら習いたての英会話のようでした。
あいむふぁいんせんきゅーえんでゅー。
ふくらはぎの筋肉痛がやっと引いてきました。移動が嵩んだせいではありません。
箱根駅伝を見ている父を見ていて「オッサン臭い!」といい乍ら、
自分も興奮したのでしょうか、気がつくと踵の上げ下げをしてたようで、そのせいです。
級友でちいさく集まって酒を交わしていると、
全員が眼鏡であることに気付き、目尻から汗が出ました。
拭うあいだの眼鏡置きに給仕さんのお顔をお借りしようとしましたが、
2/2の確率でこちらも眼鏡でした。鯖江に足向けて寝れませんね僕たち(わたしたち)。
卓上の刺身が『タタキ』になってたのは成る程、みんなのレンズがプリズムしたのね。
徳島に戻った足でジローズバーに行くと書き初め大会やってました。
久しい筆の感覚に慣れようと下書きしてたら本番では集中力と墨が切れてしまい、
結果として私の出展は、下書きの『蜂須賀』になりました。
このときの悔しさをバネにいま、自宅で筆ペンを走らせています。
とは言え後悔、蜂に須賀ず。
そもそもあらたまって目標たてる日なんて、浮気なもんです自分。
1/1の年始にはじまり1/10が『いとう』の日、4/1は年度始め、そして7/30に誕生日。
毎日がスペシャルなのは素敵だけれど、全方向100%では下書き倒れも甚だしい。
思いついた時だけガーってつくる砂山癖、平らに均していきたいものです。
「わぁ正月といとうの日と年度始めと誕生日が一緒に来たくらい嬉しい!」
Read Moreツリー点灯式
昨夜。
徳島駅前で、ツリーの点灯式をやっていた。
友人のThe春夏秋冬が演奏していた。
ステージはアミコ前にあったからであろう、vo.カロウが曲終わりに
『アミィ〜コ!!』
と言っていた。
誰もが気にはなっている、しかし取り立ててどうするというわけでもない、
そんな、おかしな落書きのような、ある種のタブー。
本件もまさにそれだった。アミコ、ってなに由来、とおもい馳せたことあるよね。
私だけではないだろうあなたも、そこのあなたも。
カロウはそうゆうところをピックアップする嗅覚に優れていて、
堂々と踏む強さも持っている。それが反骨なのか天然なのかは分からないが、たぶんギャグだろう。
10年ほど前、廃車にする前の愛車をボッコボコにしていた彼を見てけっこう引いたが、
同じ時期、自分も愛車に小石で思い出刻んでいたのをいま思い出した。

彼らはもとより他の演者さんもみんな素敵だったし、個人的にも朝からハードな土曜日であったが、
これがハイライトとなった。
ところでこの会場、徳島そごうとも関係が深く、目の前が現にそごうなので演者さんも何かとお世話になるだろうに、
そごう入り口のタイル貼りを見るとあの『そごうマーク』の意匠が施されていた。
踏み絵みたいで演者には気の毒だと思った。

「あなたが池に落としたのはこの金のレギンス?」「いえ金のレギパンです」
寒くなりましたね。
ズッボーン!
のしたに穿くやつについて、
見られて恥ずかしいかそうでないか、という話題がでました。
あるひとは恥ずかしくない。わたしは恥ずかしい。
しかしわたしもある日は恥ずかしくない。なんでか。デザイン?
そこで昨冬、気にしてみました。
パンツの有無でした。
パンツ、はややこしいですね。ここではパンティーのことです。
ズボンのしたに穿くやつのしたにパンティーを穿いていないときがあって、
そういうとき私は無意識下で『下着』の認識なわけです、ズボン下が。
ハロウィンもすっかり定着しましたが、あの最高潮の瞬間に魔法が、
現実的な意味での魔法がとけたらひとびと、どうなっちゃうんだろう。
と祭りのたびにおもい馳せています。いとしき他人たち。
いやパンティーもややこしいですね。
Read More選ぶな、そこに答えはない
きのうのお昼のこと。
趣のある定食屋さんで汁をすすりながら、おかみさんと話をした。
トシとソラはうつろうたびに、ひとの感傷をさそうよう。
さいきんは立ちしごとがしんどぅて、とおかみさん。
そんなトシでもないでショ、と私。
するとおかみさん、こう返す。
「けっこう歳いっとるんじょ、当てれたらタダにしたるわ。」
いくつに見える、は、もはや禅問答かもしれない。
いくつなのか、どちらにどのくらい離して応えるのか、いやど真ん中がいいのか。
このあたりを一瞬できめるのはしんどいので、対面した時点でそなえておいたほうが憂いがないのは、
女性にかぎったことではないように思う。
しかし今回は着地点がチトちがった。
言い当てることのメリット(ドヤ感と700円)と、
おかみさんの謙遜しながらも今まで「若く見える〜」と言われてきたのであろう自信と(実際そう見えましたし)。
みたことない天秤のうえを右往左往した。
帰り道。
おかみさんが言っていたひさしぶりの秋晴れを見上げながら、
やっぱりまだ天秤はつづいていた。
嘘とかいてホウベン、と読んだ先生をおもいだした。
演技じゃなくなるとき
去年、今年と、
お芝居のワークショップに参加させてもらった。
役者なんて小6のときの『男子7』がさいごだったが、
ひさしい呑み屋でへんに気遣って一見のフリすることもあるので
できないということもなかろう。
むずかしい専門用語にみがまえもしていたが
現場に飛びかっていたのはむしろ、しった言葉のしらない用法であることがおおかった。
じぶんがふだん眺めている豆腐がかくれた多面体であることを、
あらためて噛み締めた。
いとしい隣人はいつも外国にいて、おもい馳せている出窓のしたを、つつましい物語が通過してゆく。
フェンスのように絡んではほぐれ、あしたはまた他人になるけど、ときどきふりかえろう。
両掌にあまるほどの仲間と刺激、胃もたれをいただいてかえった。
すこし不思議なことがあった。
おなじ受講生にすてきなお声の女性がいて、なんでもおなじ街で弾きがたりをなさっているとのこと。
なんとなくうかんできた言葉をそのままにしておいたら、のちに聞いたその方の名前とおなじだった。
どこかで耳目にしたことのあるお名前ではあったのだが、お顔とのリンクは取れていなかった。
そこまで人口も多くない街だから、弾きがたる女性が際立って多いということも、たしかにないだろう。
でもそのとき自分には、その言葉しかうかばなかった。
それがその方の名前だった。
数年まえ、知人にいわれた
「福井の出身だと思ってた。」
をヒントに、紹介のページを更新した(ほんとうは広島です)。
自覚や目標だけじゃなく、たとえば評判や印象も一体の人間にコミットするなら、
とある知人からの(まったく見におぼえのない)『フリ』をもって自分を塗り替えるのもよかろう、と実験的にやっている。
続けてたらほんとうに自分、そうなるんじゃないかしら。
と。
私には霊感も予知能力もない。テレビもラジオも持ってない。
なので一方的に推論すれば、もしかしたらその方(かりに花子さんとしましょう)は
もうすっかり花子顔だったのかもしれない。
おそらく『芸名』になるのであろうその言葉のひびきを
自分ごととして、むしろお顔から発していたのかもしれない。
しれないなぁ、とおもっていたら花子さんのお声でフレーズが出たので曲を書いた。
それを(脳内で)花子さんに唄わせながらカレーをつくった。
曲にしろ料理にしろ、ここのところ創作らしいことをしてなかったのでいやにカクカクしていたが、たのしかった。
ちなみに以前知り合った演者さんが福井の方で、
「へぇ福井なんですね!」とあやうく拡がりかけたが、これには早晩困った。
花子さんを見倣って、早いうちに福井旅行に行こう。
眼鏡の聖地もあるし。
あなたは火曜日派? わたしは日曜派
カップ麺のうどんをたべた。
麺と、具材のかまぼこ(的なやつ)の、食感がいっしょだった。
味についてはもとより、うどんつゆを3分吸ったミイラ同士だ。いっしょだ。
つい先日、ながらスマホと二宮金治郎の危険性を較べる機会があった。
前者のがよりエンタメであることから危険となった。五感のうちいくつを供するか、ということでもある。
お皿のなかで属性が、複数にまたがってカブるとき
皿のたいらげ側としてはけっこう困惑なのかもしれない。
わらい声までおんなじ、ということの是非を再考する時代がきたのかな、と思った。
お隣さんは他人である。
かまぼことちくわも、いとこじゃなくはとこ、なのかもしれない。
昨日のこと。
百均で迷子になった。
欲しいものがあって百均に行ったのに、ものの5分で飛んでしまった。
まあいい居れば、歩いていれば思い出すだろう、と虚ろな目をして、
ちいさな街をさまよった。
しかし、みんなが愛する百均は多種多様で多量。
台風の影響あってか、こどもたちにも格好の庭となっていて
錯綜する玉石な情報と、それに被さる遮断機が悩ましかった。
この際どうでもよいものを「あぁこれこれ」と得心してみようか。いやまてよ。
かばんからさっき読んでいた本をとりだし、センテンスを手繰る。やっとのことで目的を思い出す。
眼は爛々、足取りはしゃっきりとした自分にひと通り寒さを感じつつ、一周したところで肩を落とす。
百均にガソリンは置いてなかった。