口語表現がいいとか
否、文語もいいですよとか
まあ結局どちらも美しいよね、とか
「ことば」による表現には違いないから
ただ、しかし、それらはすべて、確実に明日が来るという安心に乗っかっているけれど。
今日の、お昼のこと。
平成生まれの、ちょっと若者に、昭和の遺産(という言い方も、ですが)を話す機会で
いろいろ言ってみたけれどうまく伝わらずに、ことばを捨ててしまった私。
「…ん…えと…まあ、ググってみて!」
この瞬間に、すべてが融けた。
マンモスと氷は、マンモス水になった。
急に私は続くことばを失って、氷になった。
日本での公共ラジオ放送開始から90周年とのことで、テレビとラジオを較べたコメントがいくつか有った。
産まれた時から目も耳も揃っていた私からすれば、どちらもドングリに思えてならない(ムスビにも思えてならない)。
私の使っているギターにはマイクがついていない。では大きな音を出したい、スピーカーにつなぎたい、という時はどうするか。
その音をギター自体の振動から信号として拾い、予めマイクで録っておいたギターの音色に変換して出力する、という、まあ「邪道」とか「外道」、「ニセモノ」とか言われる方法で、音を再現することへの投石として十二分なやり方でやっている。
テレビはラジオに較べて、受け取り手の想像力を奪ってしまうという。それはそうかもしれない。
テレビはラジオに較べて、受け取り手の想像力を奪ってしまうからラジオの方が創造的だという。それはうそかもしれない。
そんなことを、思っていた。
音声放送が始まった時点で既にマイクとスピーカーは、レコードは有ったわけで、そのギジュツありきの放送行為が「想像力をかき立てる目的で」音声だけの情報に絞った、なんて気のきき過ぎた微調整をすることは考え難い。
少なくともラジオをすごいすごい言ってた(だろう)当時のベクトルはテレビに向かってた筈。それは今の情報が温度感や「生」の志向、つまるところの再現度合いや精度、になって来ているのをみても分かる。それに追随する形でのラジオだったのではなかろうか。そんなことを思っていた。詳しくは今思っていた。
やはり我々はそれ以外の、「ふつうの」世界では見、聞き、嗅いで触れ、味わっているのだから、
新しい技術がそこを追求するのは自然なことだと思うし、それ以外の、第六感をこの技術によって初めて提供する、ということの方がそれこそ難しいのかもしれない。第三のビールは名前こそ革新だが、そういう意味でビールに追随すると、殆どのユーザは思っているだろう。
若者との会話を思い出してみる。
私が彼に、後世に遺せるものは名言や名曲ではなく、フォトアルバムだとしたら。
ことばが気持ちを越えてしまった、という感覚をおぼえることもあれば
今日に至ってはその逆で、自分のふにゃふにゃさにも嘆息する。
下着から車までネットで買ってる自分の生活をして「ちょっと近くで見て。いとうに見えるけどw(www)の集合体だから」と言ったことがあった。いまの躰はまさにそれを極めつつあるな、と思った。
会話の中で宙に浮いた、昭和の遺産がちょっと、残念だった。
平成の皺に秘宝館は、刻まれていなかった。