今週末の予定を更新しました。
神戸のパコカパは移転OPENです。
荒いですが、時勢を意識した新曲をお持ちします。
やっぱハロウィンですよね。
また今回の演奏は収録して、
時限的に配布を予定しています。
ナイショでご来訪のかたはマスク厚めで、声が漏れぬようにね。
今週末の予定を更新しました。
神戸のパコカパは移転OPENです。
荒いですが、時勢を意識した新曲をお持ちします。
やっぱハロウィンですよね。
また今回の演奏は収録して、
時限的に配布を予定しています。
ナイショでご来訪のかたはマスク厚めで、声が漏れぬようにね。
ヨガの話題を手土産に、リビングで深夜をむかえる。
あらためてヨガってなんぞや、と字引いてみる。
いわく ”ヨガ” の発音はネイティヴに遠いらしい。 ”ヨゥガ” だそうだ現地では。
彼にあやまらないといけない。
彼と格ゲーで出会ったあのころ。
わたしはまだまだ思春期で、いいかっこしたかった。
すべての民草どもが、あまねく、いいかっこしたいものだと思っていた。
だから ”ヨゥガ” っていう彼のことを、
「秘奥義がちなやつ(必殺技の名前をいうときだけ大振りないいかたになる)」として蔑んでいた。
そんなに溜めたらフリーザ様も待ってはくれないよ。東京に行かないほうのオラを思いながら。
よわい犬ほど…とはいうが、やはり多弁な芸術家というのは寡聞におもう。
とはいえ作者没して完成する芸術なんて哲学的なようで、やはりすこし、いやだいぶ、さみしい。
人間それじたいが芸術なのではないのだから。
もともと核のない話がおおきく逸れたが、ダルシムは間違っていなかった。
あの国際色ゆたかな乱痴気騒ぎのなかで、ネイティヴな発音を維持することのむずかしさは想像に難くない。
『Ken likes Masao』すら、マッサーオ、といってしまいいつも悔いているのだ我々は。
朝のカフェで。
カウンターの向こう、がっしり目のお姉さん。
私「コーヒー、ラテに変更できますか?」
彼女、マスクの向こうでちいさく笑み、スチーマーを
「プシューッ」てやった。
おソノさんの旦那かと思った。
ラテをいただく。慌ただしいホールに向かって彼女、
「おチビちゃんテーブル拭いてきて。」
おソノさんかと思った。
最近のニウスを聴いてると、ずいぶん昔、寝込んだときのことを思いだす。
いまなら絵とか壺とか買っちゃうよ、そんな弱りかたである。お熱をはかる。
月あかり/オムロン照らす/8度かな
平熱ひくいので9度くらいの感覚だ。
辛くも意識はシャープ、もっと高いとこはないかナなんて、まさぐる余裕。
そしたら局所が、熱い。
この局所というやつはよく出来たもので、
冬は梅干し、夏はムササビのごとく姿をかえ、
その恒温を守ってきた。
そんな局所が熱いのだ。
色で言ったら赤。テレビの音量で言ったら40くらいである。
ああかわいそうな局所。
「冷凍庫のすみでこごえていた、保冷剤を捨てなくてよかった。」
このときはインフルエンザだったのかな確か。
それこそ今みたく自宅待機してて、
暇だったからセーターの毛玉ちぎってベランダから風に乗せてた。
きっと今ごろ、この街のあちこちで、ちいちゃなセーターが育っているはず。
シルバニアのあの子に似合うかしら。局所にたずねてみる。
箸置きがすきだ。
箸を置く暫時、というのがすきだ。
いきつけのそば屋では楊枝を枕にしてるから、
マスターがあわてて貸してくれる。
嫌味にうつってないかしら。
箸を置きたくてしょうがない私だ、
だから『箸休め』も箸置きのことだとおもっていた。
お箸さま、どうぞこちらで休んでいかれてください。
『置く』なんて行為でいわないのが実にゆかしい。日本にうまれてよかった。
でもそこは違った。
ことば遣いのはしくれとして、実にはじかみい。スティックでチョップしてやりたい。
箸休めをいただいてるあいだも、箸は休んでいない。
それは臓器のようだ。今体にいえばインフラだ。
『休め』のことばにつつみ隠しているけれど、
24時まで呑ませてくれたバーテンさんは、そこから店じまいをするのだ。
バーテンさんが帰りに寄ったコンビニスタッフさんは、彼よりあとに寝るのだ。
私たちは地球の裏側に紙ひこうきを投げるべきだ。感謝のことばをしたためて。
あと運動会の『休め』もそうだ。生徒の貧血にそなえたアリバイだ。
今日のことわざ。
【箸も休め休め言え】
もぐもぐしながら話すな、てこと。