いま、CDを見つめている。
銀色の、盤面のほうを見ている。
借りてきたCD、こたつから出たくなくて、
再生機にかけられない。だから見て、いる。
ドライアイが進んで目がかわく。
たまらず目薬をとりにキッチンへ降りる。
目薬をさし、ふたたびCDに目を遣りふと思う。
再生機の方が近かったと。
ボタンを押して尻を洗い流す。窓の外にふと地球をみる。
最後に尻を拭いたのはいつだったかな。
さっき、焼き鳥屋さんの窓のなかに
ラップのかかった『つぼ』をみかけました。
9割9分、秘伝のタレでしょう。
水飴の話をおもい出しました。
きんぴらが、不味く仕上がった。
いつもぺぺっとつくってるからミョウガないか、
とくに理由をかんがえるでもなく、お弁当につめる。
すてたくないから、食べる。すてられないから、目をつぶる。
そんな包容力がつづくこと数日、
沖縄みやげに『ちんすこう』をいただいた。
きになるお味は『雪塩』とのこと。
なるほど、あまからの宝石箱はかざり気もそこそこ…美味しい。
甘いボディーに甘味を盛るところ、今回は
…あ。
ここで日曜のキンピラがフィードバック。
砂糖いれてなかった。
ちん◯こうの礼もそこそこに、帰宅。冷蔵庫をあける。
たっぷりのザラメと、ちょっとバター。ツヤプルのきんぴらにメイクアップ。
ごめんねキンピラ、おれ…きみのこと見れてなかった。
そして…ありがとう、ちん◯こ◯。
さっきまで街にいた。
友人の演奏をきいていた。
月曜にイベント?
そうきっとフェイクにちがいない。
だって、きょうは私の誕生日。
昨日、さそいをうける。
やけに急だな、とおもう。
でもしかたないか、明日は誕生日だもの。
タスキを買いにいく。
『主役です』のタスキ。
ひとしきり、サプライズに驚いたあと
「いやぁ恥ずかしくって汗出てきちゃった…ちょっと一枚ぬぎます」
と芝居して、ぬいだらしっかり主役のタスキ、というながれ。
この件はむかし、いちど成功している。
つかいまわしは不本意、だがしかたない。
だって誕生日だから。
そして今日。夕方はやめに帰宅した。なんならシャワーまで浴びた。
タンクトップにタスキをまとい、黒色のTシャツをかさね、街にくりだした。
会場では演奏がながれていた。どうせ幕間とかMCで呼ばれるのだろう。
悪目立ちなんてしたくないが、誕生日のさだめだ国民のためだ、覚悟をきめてTシャツのなかに手をいれた。
…結局そんなサプライズはなかった。話題にすらあがらなかった。
カウンターでちびちび飲っていると、べつの友人から、おめメールが来た。携帯をカウンターに置きっぱにして、皆にみえるようにしようかと画策した。
…しかしそんな勇気はない。だいいち、きょうは私の誕生日でなくライブの日なのだ。
演者を敵にまわすと後がつづかない。ここはアフタートークの奇跡に賭けた。
30分後。ふらない雨に顔をぬらした帰りみち。
台風のおとしものか、夜の国道はやけにすずしかった。
でもなぜかしら、肩から腰にかけてレジメンタルにあたたかく、おかげで風邪をひかずにすんだ。
こんどから常時、携帯しよう、そうおもった。
エブリバディたすき。
料理用のワインが切れてて、
買い置きのスパークリングをやむなくあける。
コルクのうえの、金属の栓。これをクルクル、ほどいていくと…
「ポンヌ!」
…抜いてもいない栓が、抜けた。
この喜びを、おじいさんとおばあさんと犬と猫とネズミたちにわけてあげたい(おおきなかぶ)。
肝こそ冷やしましたが、やはり夏は夏。
暑いから、椅子はつくりませんでした。
明けそうで明けない梅雨、といった具合でしょうか。
雨はすきです。
高校の3年間でほとんど傘をつかいませんでした。
登校をともにする友人が手向ける情けをも拒みつづけ、
となりの女子校で湧いた噂は私の異常さではなく
友人の非情さ(自分だけ傘さして!)ということでした。
いまも雨具はめったにつかいません。
小雨のことは『肌水』と呼んでいます。
「傘さすと逆に濡れる」と、昔もいまも考えています。
空があやしいとき、皆さんは雨具、持ちますよね?
私は逆です。よっしゃラッキー、と思います。
「じぶんがバイクで出かけたときは、雨がふらないことになる」
「あっ、晴れるよ。だって今日チャリだから」
さいしょは冗談で言ってましたが、言い続けているうちに境目がやばくなってきました。
この心持ちを、自分ではちょっと控えめに、『ポジティブ』と称していました。
ある友人はこれを『中二』と言いました。
別の友人は『小二』と言いました。
また別の友人は『妖精』と括りました。
結論めくと寂しいのですが、
ケガや失敗をどう捉えるか、という話だとも言えます。
海中に道を見つけたモーセも、実は究極のポジティブだったりして。
ズブズブっと、ねッ!
わたしの名前はベスト8。
姓も名も、いただいて早37度目の夏をむかえるところです。
役所にいくとわたしは自分の姓を『伊藤』と書くのですが、
耳目になじみのよいこの名前。そうでしょうね全国8指に入る人口ですこのなまえ。
思春期のころは、なんにでもアイデンをほしがって
こんな扁平な名前なんて、と投げすてる窓をさがしていましたが
いまはマジョリティあるある、とかで遊べてるので問題かんじてません。
親戚のような『伊東』さんは全国200位くらい、とうかがっていますが
8位でも200位でも、本人がドコ座りたがってんのか、てことですね。
さて、あるあるの話です。外は天気雨です。
SS(鈴木さん佐藤さん)にはとおく及ばない私ですがやはり、
会う人住む町居る時代、いつでもどこでも伊藤にあえる。
そんな安心感を逆手にとっての卑屈が芽吹き、
だれかと初対面のたびにいつも、ああどうせ、と、そう思ってしまいます。
「このひともきっと『伊藤』なんだろうな」
そして
「このひともきっと僕のこと、『伊藤』だと思ってんだろうな」
人生が伊藤色に染まってしまい、
伊藤以外の価値観をみとめられなくなります。
風呂屋では靴箱、ロッカー、貴重品入れ、すべてに『110』を求めてしまい、
そうじゃない日は湯もぬるいと感じます。
姓も名も、基本的には選べません。
与えられた『運命-さだめ-』を受け入れ、自分のなかに揺蕩う部分をもつ。
それは良いのですが、私の場合は風にあばれた柳糸がまきつき、
もはやセルフ亀甲縛りの状態です。
こんな状況を打破すべく…
あごめんなさい1時10分のお祈りなんで続きは今度。