これこれ君たち、
そんなにクラゲを虐めてはいけない。
かわいそうに、こんなに棒で突かれ
痛ッ!!!!!
いちげんな店で食事をとっていると、もちろんカウンターだ、店員さんとの話になる。
「はじめてですよね、なにかでご覧になったのですか?」
これよく訊かれる。
かたや温泉街の店ではだれもが異邦人だ
(地元民や従業員がいく店は別にあったりする)。
どちらから、とは訊かれても、どちらのご紹介で、とは、ならない。
わたしのうまれた頃からクチコミはあったし、旅行雑誌はあった。
わたしだって鉄道に乗るときはスペックや路線図を舐めまわすものだ。
その一方で、食べてみないとわからない、異国の大衆料理に見返り美人を強いられる(手は口もとに)。
休日なんてとくに、自我の荷ほどきをしてあげたいのに、床につく、いちにちの暮れに、
ああ今日はこんなだったな…という日記のなかみが、書くまえからきまってるのは寧ろたいくつだ。
あらゆる道やたてものが色数をふやしてくれたころ。
わくわくしたりひやひやしたり、そんなときみたいに、もっとしっかり、破線をなぞろう。
歩こう。車もいいし飛行機でもいいが、いちばんのろまな方法で、町の輪郭をとらえていこう。
もっといえばほふく前進やでんぐり返り、なんてのもあるが、そんなこという奴は先生キライだ。
Read Moreパトラッシュ、
もうこのセリフ飽きたんだ。
こころがざらついた日は、料理につきる。
生に直結したアウトプットは、よけいな枝葉をはらうよう。
喜も怒も哀楽も、優先度のひくいオプションなのかな…とか反芻しながら根野菜の水をきる。
洗濯機がピーと言ったので、ベランダに居をうつす。
今年こそは失敗しないと、一昨年の種でまた、バジルを植えた。
なんとかふっくらしてきた双葉を確認、去年のK点は越えたぞふぅ。
じぶんもまだ双葉だったころ、こたつで寝たふりしてたら毛布が降ってきたものだ。
そのまま芝居をつづけていると、竜の背中に乗って天までのぼり、綿雲に包まれていた。
土をかぶったままのバジルの葉。お前はいま、種だったころの夢を見ているのか。
…、ちょっと気がゆるみ、また脳を忙しくする。
生と死はきっと同義だな。
夏目漱石『こころ』での奥さんのフレーズがずっと残っている。
『それと同(おん)なじ理屈で』
プライドに喰われて反論したって、反論がしたかっただけなんだと、相手の態度できゅんとなる。
キッチンにもどる。
案の定焦げ目がついている。
扇風機にあたって粗熱をとる、おかずをチラと見る。